2010年5月31日月曜日
2010年5月21日金曜日
此岸にて (1)
5月10日、実家にて父が突然息を引き取った。
耳に入ってきた言葉が現実のものとして受け止めることが出来ない。
別室から出てきた妻に対して、「親父が亡くなったって…」と伝えるが、実感が全く湧かない。
病院から電話している姉は冷静に、今決めなくてはいけないことを伝えてくれている。
病理解剖の是非をいま判断しなければいけない、アンタはどう思う?と。
妻が背中を摩ってくれるが、頭のなかが真っ白で何がどうなのかが全くわからない。
現実問題として今自分ができることは何も無いので、取り敢えず寝よう、と。
しかしベッドに入っても頭が麻痺して、目はつぶっても覚醒したままの状態で朝を迎えた。
朝6時ころ、家に戻った姉から再び電話がきた。
これからのことを相談し、母の様子を聞くと「トイレを掃除中」と。
まさに血の海だったらしい。そして、そのときの状況を姉から聞く。
激しく落ち込む様子に落涙、しかし悟られぬよう体裁を繕う。
9時頃、再び電話して母と話した。解剖が今日11時過ぎから、とわかる。
今日来なくても明日でいいからと言う母に、明言は避けつつ、なんとか調整して行くからと伝える。
仕事先への連絡などを一通り済ませ、家を妻に託して羽田に向かった。
15時過ぎ、現地空港に到着、バスに乗って地元に向かう。終点手前に病院のバス停があり、
いままだ病院にいるかどうかはわからないものの念のため立ち寄ろうと下車。
受付で問い合わせて数分後、丁度担当医からの説明の最中とのことで、霊安室に案内される。
消毒液の臭いがするフロアから、霊安室とかかれたスライド式の重いドアをひくと、香が鼻をつく。
ピンク色の壁、暖かみのある白熱色蛍光灯の柔らかい灯りのもと、
顔に白いハンカチをかけられた遺体がストレッチャーの上に横たわっている。
ハンカチを取ると、いつも空港へ迎えに来てくれる時のような、微笑んだ父だった。
「おう、よく間に合ったな」との声すら聞こえてきそうな。
あまりにも穏やかなその表情に、笑いと涙が同時にこみ上げてきた。
その場にいた担当医から結果を聞く。
到着するまでに想像していた状況と、大きな違いはなかったので、
その内容は納得できる結果ではあった。
父を迎える準備をするため先に帰宅する母を見送り、
姉と霊安室で葬儀社の車を待つ間、これからどうするかを探り合う。
17時前、病院から父を連れて帰宅すると、車を飛ばして駆けつけた札幌の叔父が出迎えてくれた。
叔父の顔を見て、朝からの緊張がふっと解け、モードが切り替わった。
日曜深夜。
酒を飲みながら、ラファエル・セバーグのDommuneを見終え、相撲のリピートを見ながら、
向正面に研ナオコを見つけ、嬉々とツイート。その後はGetSportsを見て、午前3時少し前。
寝ようと思って歯ブラシを手にとると、電話がなった。
こんな時間の電話は間違いか不幸か…
受話器を取るのをためらったのだが、3度目で取ると、姉の声だった。
「突然なんだけど、父さん、亡くなった」
耳に入ってきた言葉が現実のものとして受け止めることが出来ない。
別室から出てきた妻に対して、「親父が亡くなったって…」と伝えるが、実感が全く湧かない。
病院から電話している姉は冷静に、今決めなくてはいけないことを伝えてくれている。
病理解剖の是非をいま判断しなければいけない、アンタはどう思う?と。
病院嫌いで特に目立った既往症もなく、かといって健康管理に気を使っていなかったので、
昨年の帰省時には「病院行って検査してきてよ!」と何度も釘をさしたんだが。。
やはり何故?という思いのままで送れないので、お願いしますと答えた。
受話器を置いて、右手には歯ブラシを握りしめたままソファにへたり込む。
涙が込み上げてくるわけではなく、この現実をどう受け止めていいのか戸惑う。
妻が背中を摩ってくれるが、頭のなかが真っ白で何がどうなのかが全くわからない。
現実問題として今自分ができることは何も無いので、取り敢えず寝よう、と。
しかしベッドに入っても頭が麻痺して、目はつぶっても覚醒したままの状態で朝を迎えた。
朝6時ころ、家に戻った姉から再び電話がきた。
これからのことを相談し、母の様子を聞くと「トイレを掃除中」と。
まさに血の海だったらしい。そして、そのときの状況を姉から聞く。
深夜1時過ぎ、就寝中咳き込んだ父は起き上がり、何かを吐いたらしく、その様子に何となく気がついた母はほぼ無意識でティッシュを渡したそうだ。そのまま1階へ降りて、トイレに直行し、その咳き込みかたが尋常ではなかったらしく、居間にいた姉が異変に気づき、母を起こして様子をみると大量の血に塗れていた。
背を摩りながら、救急車を呼ぶかと問う母に一度は断るものの、再度尋ねると「うん」と応えて、それが最期の言葉となったそうだ。
救急車が到着した時点で心肺停止状態、それでも救急に運んでくれたのだが、処置の甲斐なくそのまま帰らぬ人となってしまった。起床してきた子どもたちに、妻は訃報を伝えた。
激しく落ち込む様子に落涙、しかし悟られぬよう体裁を繕う。
9時頃、再び電話して母と話した。解剖が今日11時過ぎから、とわかる。
今日来なくても明日でいいからと言う母に、明言は避けつつ、なんとか調整して行くからと伝える。
仕事先への連絡などを一通り済ませ、家を妻に託して羽田に向かった。
15時過ぎ、現地空港に到着、バスに乗って地元に向かう。終点手前に病院のバス停があり、
いままだ病院にいるかどうかはわからないものの念のため立ち寄ろうと下車。
受付で問い合わせて数分後、丁度担当医からの説明の最中とのことで、霊安室に案内される。
消毒液の臭いがするフロアから、霊安室とかかれたスライド式の重いドアをひくと、香が鼻をつく。
ピンク色の壁、暖かみのある白熱色蛍光灯の柔らかい灯りのもと、
顔に白いハンカチをかけられた遺体がストレッチャーの上に横たわっている。
ハンカチを取ると、いつも空港へ迎えに来てくれる時のような、微笑んだ父だった。
「おう、よく間に合ったな」との声すら聞こえてきそうな。
あまりにも穏やかなその表情に、笑いと涙が同時にこみ上げてきた。
その場にいた担当医から結果を聞く。
到着するまでに想像していた状況と、大きな違いはなかったので、
その内容は納得できる結果ではあった。
父を迎える準備をするため先に帰宅する母を見送り、
姉と霊安室で葬儀社の車を待つ間、これからどうするかを探り合う。
17時前、病院から父を連れて帰宅すると、車を飛ばして駆けつけた札幌の叔父が出迎えてくれた。
叔父の顔を見て、朝からの緊張がふっと解け、モードが切り替わった。
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