2012年7月2日月曜日

お散歩@永田町

昨夜、6/29に15万人が集結したという現場を散歩してみた。
平日に行く事は難しいが、せめて念だけでも置いてこられればと。

東京メトロ・永田町の長い通路から抜け出て、自民党本部を抜け、交差点を右折、議員会館を右手に進んでいくと官邸前。道の奥に東京タワーが輝いていた。
土曜日の夜19時。途中警官と工事作業員以外ですれ違ったのは10人にも満たず、都心てこんなにも閑散としているのかと吃驚した次第。
官邸前には10人ほどの警官、2台の装甲?バス、機動隊バス3台、特殊車両と一般車両数台が止まっていた。
15万人もの人が集まったという場所にしては、目立つゴミはなく、日本人らしく整然と行われていたのだなと感心した次第。
霞が関をまわって、議事堂前を抜け、永田町まで戻った。2キロ程歩いた。

サングラスをかけてウロウロしていたのだが、一度も職質されることもなくホッとした。


2012年3月11日日曜日

2011/3/11-12


3/11のことは書かずじまいで、1年。もう一年経ってしまったのか。記録として。

いつものように、妻と朝ドラ「てっぱん」再放送を見ながら昼食。続けて見た昼のワイドショーでは、バカルディ大竹とフジのアナが入籍したとのニュース、そして不幸のニュース。見ながら、妻となんだかんだと話をしていたのだが、
いや、人生なんてわからんもんよ、届けを出して市役所から出た途端に車に跳ねられて死んでしまうことだって無いわけじゃないじゃん、
と締めたことだけは記憶にある。

2時ころ仕事をしていると、猫2号が膝に乗ってきた、と妻がわざわざ言いに来た。
2号が膝に乗るのは自分にはそれ程珍しいことではないので、へぇと軽くあしらって。

そして14:46。
グラっときた。リビングから妻の「緊急地震警報!」という叫び声。
数年前の中越地震の揺れ方を思い出し、仕事部屋からリビングへ。
揺れは収まるどころか、徐々に大きくなってきた。シケの船に乗っているかのような。
什器を押さえていたが、次第に恐怖心がたかまり、テーブルの下にもぐりこんで、
「もうわかったから、収まれ、やめてくれー!」と叫ぶ俺の隣で什器を押さえ「大丈夫、収まる」と冷静な妻。

体感としては2~3分は揺れていた感じがした。
水槽からは水が溢れ、床はビシャビシャになっている。
自室に戻ると、レコード棚が15センチほどずれている。
スピーカーが倒れ、ギターに引っかき傷をこさえている。
その他、適当に積んであるものはそれぞれ崩れ、クローゼット内もグチャグチャ。
しかし、父の写真前にあげている水は無事だった。

テレビでは津波警報が発令され、日本列島の太平洋側が真っ赤。
うわあと思っていると、妻が「お迎えにいかないと、」と。
小学校と中学校へ向かい、無事を確認、引き取ってコンビニへ。
道中、携帯で北関東の妻の実家に電話するも繋がらず、コンビニ前の電話でも繋がらず。
取り急ぎ水を確保して帰宅すると、テレビではとんでもない津波が襲ってきていることを伝えていた。
ガスが停止していることに気がつく。

その夜は、炊いてあったご飯でおにぎりを作り、インスタント味噌汁と冷食で済ませた。
テレビでは被災地の映像がずっと流れている。津波、火事、黒煙、、、
テレ東ですら報道特番、ただごとではない。
20時過ぎ、妻の実家と連絡がついた。
その後マイミクさんからの情報で、ガスは復帰できた。
家族の布団をリビングに敷き、テレビをつけたまま就寝。
この間も数えきれないほどの余震で、船に乗っているかのような感覚だった。
真夜中にも緊急地震警報が数度。その度に飛び起き、備える。誤報もあったが、テレビは消せなかった。

ほとんど寝付けないまま土曜日の朝。佳境に差し掛かった「てっぱん」は休止。
画面には文字情報が出たまま。被災地は白煙がくすぶっている。
妻はパートに行った。
昨日なんとなく抜いていたコンセントを指して、PCのスイッチを押すが、反応しない。
?どうしたのかな?と思っていると、パンッという破裂音とともに、焦げたニオイ。
PCを嗅いでみると、電源がショートしてしまったようだ。困った…。
昼過ぎ、日テレをみていると、定点中継している原発の一箱から白煙が上がった。
帰宅した妻は、報道はもう見たくない、と一言。賛成し、DVDを見た。
夜、やはりPCがないと、と、KSに電話すると、臨時閉店中。
山田は開いていたが、状況によって閉店が早まります、と。
山田につくと、天井部が数カ所壊れている…。
展示品が気に入ったので聞くと、在庫がないから売れない、との返事。
しかし近隣店舗に問い合わせ在庫確認、キープしてもらい、その足でその店舗へ。
食料も買い、帰宅して、その日も簡単な食事で済ませた。


2012年2月6日月曜日

土下座の意味



真壁:
土下座の意味分かってて言ってんのかっつってんだよコノヤロー オェ
だったらヤラなくても構わねーぞ 東京ドームお流れでも構わねーよバーカ
全く何言ってんのかさっぱりわからんが、これは一種の技術だよね、正論をひっくり返すための。

土下座の意味分かってて言ってんのかっつってんだよコノヤロー」と言われると、「土下座の意味?はぁ?他にあった??」と考えてる間に間髪入れず、適当なことを捲し立てメチャクチャにして現場を立ち去り、結局土下座を回避する。アンタッチャブルな方々が使う手法ですね。ちなみに、
土下座(どげざ)とは、の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、本来は極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われる。(Wikipedia)

この試合はテレビで見た。真壁がスパイダージャーマンを決めたときに、スゲエ嫌な気持ちになったね。
脳梗塞やった人間が受ける技じゃねえだろ、詳細は新日のサイトにてどうぞ

2012年2月4日土曜日

論理的誤謬

理屈を構築して評価してしまうこと。

「彼は東大出身だから仕事も出来るはず。」

「ここのレストラン、シェフはフランスに留学して料理を学び、
最高級の肉を仕入れていると謳っているから、美味いはず」

川勝さんのこと


TBSラジオの粋な夜電波、DIG、都合5時間弱の追悼放送を聞きながら。

エディター川勝“ウディ”正幸さんが1/31,事故で亡くなった。
火災との事で、寝煙草が原因かと思ったが、非喫煙者だったそうで、
暖房器具からの失火が原因とのこと。

エディターという職業が存在することを知ったのは、彼による。
中高のころ読んでいた「宝島」の音楽・映画の記名記事で名前は記憶していた。
ビブラトーンズFUN(ベスト盤)がリリースされた時の記事を明確に覚えている。
上京してから、ライブ会場に行くと、南伸坊がメガネをかけたような出で立ちのひとがいつもいることに気付く。
程無く、彼が川勝さんだ、と知った。同時期、深夜のサブカル系テレビ番組にもちょいちょい出ていた。
ライブ会場では、開演前はいつも誰かしらと談笑していて、いずれ彼と話せるような身分になれれば、とミーハーな気持ちで横目で眺めていた。
ビブラストーン、ピチカート・ファイブ、ハバナ・エキゾチカ、オリジナル・ラブ。PFUNK.
インク芝浦、インク渋谷、クアトロ、渋公、草月ホール。六本木WAVE,青山ブックセンター。
ラジカルガジベリビンバシステム。スチャダラパー。ミュートビート、じゃがたら、ボ・ガンボス。
デニス・ホッパー、ジョン・ウォーターズ、ツインピークス、ゲンズブール、小津。
FMTV、モグラネグラ
彼を見かける、彼の存在を感じる=合格、というような感覚もあった。
アイドルという存在はサブカルとは相反するものだった時代に、
どアイドルの小泉今日子がサブカルの文脈で語られるようになったのは川勝さんの功績。
映画のパンフ、スタジオボイス、そしてTVブロス。どれだけ彼の原稿を読んだことだろう。
結局、話すどころか握手を求めることすらなかったけれど。

彼の仕事では、いとうせいこうMESS/AGEのインレイ、松本隆の風街図鑑、ビブラストーン詩集が思い出深い。邦画のBGMをコンパイルしたシリーズもいい仕事だった。

数年前、近田春夫がRICE名義で野外フェスに出演している映像がYouTubeにアップされていたので見ていたら、パーカー&リュック姿の川勝さんが写り込んでいて、相変わらず近田さんのフォローしているんだなぁ、と感心していた。
最後に見たのは、DOMMUNEか。

インターネットがあるこの時代には彼のような水先案内人は不要かという錯覚もあるけれど、
彼のアンテナに引っかかるものは安心できた。こんな人はもう現れないだろうな…。

エディターについて語るのに纏め上げられず面目ない。書き切れないな
ご冥福をお祈りいたします。

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町山さん泣いちゃったよ…

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オシャレじゃないと嫌だけど、オシャレすぎるのも嫌、面白く無いと。
うん、これが川勝さんのスタンス、江戸っ子が醸せない「東京」な感覚。軽妙洒脱。

2012年1月30日月曜日

アラカンのめざめ

近所の百均に行った時の話。

平日の日中、店内で物色していると、化粧品コーナーでウロウロしている男性がチラチラと目に付く。なんだろう?挙動不審だな、と思いつつ、しばし横目で観察することに。

年齢はおそらく60歳前後、やや禿げた頭にメガネ、くすんだ色合いの服を着た初老の男性だ。
通り過ぎたり立ち止まったり、手に何も持たないままウロウロを繰り返していた。
が、ふと立ち止まり、左右を確認して手にしたのが、口紅。
口紅を手に取る事自体はそれほど不自然なことではないが、
彼氏はキャップを外し、鏡を覗きながらそれを口に引き、また元に戻してそそくさと立ち去ってしまった。

いやね、こんなご時世ですから女装興味キモイとかはどうでもいいんですけど、

買えよ!100円のマニキュアだろ?買って思う存分引きまくればいいじゃん、
墨汁や筆と一緒に買えば怪しまれないとかはともかく、買えよ!キタねえよジジイ!


いやね、もっと倒錯した趣味だったらそれはそれでおもしろいんだけど、

  • 知らない誰かと間接キスをすることに異常な興奮を覚える性癖、とか

でも(大事なことは大声で)キタねえよジジイ!!

2012年1月29日日曜日

D is back!!!!!!!!!!!


D'angeloが帰ってきた。

D'Angelo Performs for First Time in 11 Years
http://www.bet.com/news/music/2012/01/27/d-angelo-performs-for-first-time-in-11-years.html

自分は当時アンダーグラウンドのHipHopを聴いていて、R&Bはさほど興味が無かったのだが、ATCQのアリ・シャヒードがプロデュースしているということで“Brown Sugar”を聴いて、一発でKOされた。
それから5年(というタームも充分長いが、ライブ盤がリリースされていたので期待感は消えること無く)、2nd Album “Voodoo”のリリース。
ジャズからHipHopに至るまでのエッセンスが凝縮され、まさに20世紀のブラック・ミュージック総決算といえる内容に狂喜した。

それから12年。

この間、太っただの事故ったというゴシップは流れたが、肝心のニューアルバムの話は一切出て来なかった。
昨年暮れ、長年の相棒であるRootsのドラマー?estloveがTwitterで新譜は97%完成している、との突然の発表以来+(0゚・∀・) + ワクテカ +するなか、突然ストックホルムでのライブの断片がYouTubeに多数アップされ、大興奮している。
肝心のサウンドは、2000年に行ったVoodooツアーの延長戦ともいえるサウンドで、心配だった衰えは全く無い。画質は悪いものの、割りと引き締まった肉体にホッとする。Pinoも健在!!!


"Devil's Pie" outro using "Sing a Simple Song" to "Chicken Grease"

今年、アルバムがリリースされることを楽しみにしつつ、、、
でも出ないかも、、、

2012年1月4日水曜日

TPPをポジティブに考えてみる。

お先真っ暗ばかり言っててもいいことないから、ちょっとは前向きに考えてみたい。


  • 海外通販がより便利になるかも?

年末にエフェクターを物色していて、アメリカの通販サイトを眺めていると、円高の影響でやはり安い。国内の定価の6~7掛け、といったところ。で、オーダーしようとしても、発送していないとの表示。
楽譜を買おうとアマゾン見てみると、洋書がかなり安くなっている。で、アマゾンUSA見てみるともっと安い。でも日本には発送していないんだよね。
代行業者もあるけれど、手数料や諸々を鑑みるとトントンじゃね?てな印象。
ダイレクトに買えるようになるんなら、うれしいけどね。
そういえば日本郵便がebayに対応する、という報道が暮れにあったけど、どうなったのやら。
セカイモンも結構手数料取るからなぁ…。


  • 野菜は入ってきても買わないわ

今でも顕著なのがにんにく。
青森産が一房150円くらいで、中国産は5房入り1ネット99円。青森産買ってるな。
使いようだとは思うけれど、そんなに大量要らないし、根ものは土壌の影響が顕著でしょ。
生姜も同じ理由で国産しか買わない。
ただ、こんなご時世だから産地はガン見するけれど…。
葉物も大量に入ってくることはないのかも。
米、西日本産を食べたこと無いからわからないし見ても買わないぐらいだから、まして海外産は余程酔狂でもない限り手をださないかも。ジャスミン米は米というよりパスタ感覚で買うけどねー。


  • 医療

医師会がしっかりやってくれればと願うばかり。
いまの保険料でもヒーヒーなんだけど、これがないと我が家のような大所帯は破産するわ。
今後原因不明のアレコレが広まりそうな時世なので、皆保険は死守してもらいたい。

あと…なんかあるかなΣ(´∀`;)



でもねえ、南米の話なんかを聞いちゃうと、搾取されるばかりでいいことないようにしかおもえないんだよねええ

2012年1月2日月曜日

初夢 2012

雨のなか、車を運転している。隣には妻。なんだかややこしく狭い道路でしかも渋滞気味、自分の後ろにも車列の切れ目が見えないほど並んでいる。ある場所は円状の道路を回らなければいけないのだが、バンである家の車では回りきれず、一度切り返す。後列がイライラしてるんじゃないかなと気にかかったけれど、そういう様子はなく安心した。携帯で何やら指示が入る、確認しながら海辺へ向かう。

気づくと、海辺の施設内の暗い廊下を歩いている。明るい方へ進み、ドアを開けると、施設の屋上、雨は止んでいるが、烟った海がみえる。冬の海だ。

車に戻り、カーナビで帰路を確認する。川崎経由か、はたまた首都高か。妻は埠頭のほうへ行きたいという。考えていると、なんとなく目が覚めた