2012年3月11日日曜日

2011/3/11-12


3/11のことは書かずじまいで、1年。もう一年経ってしまったのか。記録として。

いつものように、妻と朝ドラ「てっぱん」再放送を見ながら昼食。続けて見た昼のワイドショーでは、バカルディ大竹とフジのアナが入籍したとのニュース、そして不幸のニュース。見ながら、妻となんだかんだと話をしていたのだが、
いや、人生なんてわからんもんよ、届けを出して市役所から出た途端に車に跳ねられて死んでしまうことだって無いわけじゃないじゃん、
と締めたことだけは記憶にある。

2時ころ仕事をしていると、猫2号が膝に乗ってきた、と妻がわざわざ言いに来た。
2号が膝に乗るのは自分にはそれ程珍しいことではないので、へぇと軽くあしらって。

そして14:46。
グラっときた。リビングから妻の「緊急地震警報!」という叫び声。
数年前の中越地震の揺れ方を思い出し、仕事部屋からリビングへ。
揺れは収まるどころか、徐々に大きくなってきた。シケの船に乗っているかのような。
什器を押さえていたが、次第に恐怖心がたかまり、テーブルの下にもぐりこんで、
「もうわかったから、収まれ、やめてくれー!」と叫ぶ俺の隣で什器を押さえ「大丈夫、収まる」と冷静な妻。

体感としては2~3分は揺れていた感じがした。
水槽からは水が溢れ、床はビシャビシャになっている。
自室に戻ると、レコード棚が15センチほどずれている。
スピーカーが倒れ、ギターに引っかき傷をこさえている。
その他、適当に積んであるものはそれぞれ崩れ、クローゼット内もグチャグチャ。
しかし、父の写真前にあげている水は無事だった。

テレビでは津波警報が発令され、日本列島の太平洋側が真っ赤。
うわあと思っていると、妻が「お迎えにいかないと、」と。
小学校と中学校へ向かい、無事を確認、引き取ってコンビニへ。
道中、携帯で北関東の妻の実家に電話するも繋がらず、コンビニ前の電話でも繋がらず。
取り急ぎ水を確保して帰宅すると、テレビではとんでもない津波が襲ってきていることを伝えていた。
ガスが停止していることに気がつく。

その夜は、炊いてあったご飯でおにぎりを作り、インスタント味噌汁と冷食で済ませた。
テレビでは被災地の映像がずっと流れている。津波、火事、黒煙、、、
テレ東ですら報道特番、ただごとではない。
20時過ぎ、妻の実家と連絡がついた。
その後マイミクさんからの情報で、ガスは復帰できた。
家族の布団をリビングに敷き、テレビをつけたまま就寝。
この間も数えきれないほどの余震で、船に乗っているかのような感覚だった。
真夜中にも緊急地震警報が数度。その度に飛び起き、備える。誤報もあったが、テレビは消せなかった。

ほとんど寝付けないまま土曜日の朝。佳境に差し掛かった「てっぱん」は休止。
画面には文字情報が出たまま。被災地は白煙がくすぶっている。
妻はパートに行った。
昨日なんとなく抜いていたコンセントを指して、PCのスイッチを押すが、反応しない。
?どうしたのかな?と思っていると、パンッという破裂音とともに、焦げたニオイ。
PCを嗅いでみると、電源がショートしてしまったようだ。困った…。
昼過ぎ、日テレをみていると、定点中継している原発の一箱から白煙が上がった。
帰宅した妻は、報道はもう見たくない、と一言。賛成し、DVDを見た。
夜、やはりPCがないと、と、KSに電話すると、臨時閉店中。
山田は開いていたが、状況によって閉店が早まります、と。
山田につくと、天井部が数カ所壊れている…。
展示品が気に入ったので聞くと、在庫がないから売れない、との返事。
しかし近隣店舗に問い合わせ在庫確認、キープしてもらい、その足でその店舗へ。
食料も買い、帰宅して、その日も簡単な食事で済ませた。